小林麻央さんに関する一連の反応について
先日、市川海老蔵さんの奥様でフリーアナウンサーの小林麻央さんが逝去されました。
心からご冥福をお祈りします。
今回はそのものではなく、世間の多くの人が麻央さんの死を心から哀悼していたことについて注目したいと思います。
なにせニュース速報で流れたり、私のツイッターのタイムラインがその話題で埋まったりしたものですから(超個人的)。
もちろん若いということもありますが、昨今、多くの著名人が逝去されているのに比べ、反応が大きいなと感じています。
それは、テレビやブログなどを通して、多くの人が小林麻央さんの闘病生活を見守っていたことが大きいと思ってます。
社会心理学で、単純接触効果というものがあります。
これは単純に顔を合わせる機会が多いと、その人に親しみを覚えるというものです。
つまり多くの人がテレビやブログを通して、間接的に小林麻央さんのお見舞いをしていたような状況だったのだと思います。
なので、小林麻央さんをとても身近に感じていたのではないでしょうか。
もう一つ、とても悲しいことではありますが、世間の皆は小林麻央さんが死に向かっていることを知っていたのだと思います。
というか、私もそう思っていました。
もちろん元気になって欲しいという願いはあったと思います。
まだ若いし、子供も小さいし、優しい姉や夫も支えているし…。
若くて素敵な奥さんが、不治の病に侵される。
元気になって欲しいけど、最後は亡くなってしまう。
その過程をつぶさに見ることができる。
これって、映画か小説かって感じですよね。
みんなは小林麻央さんをとても身近に感じていた。
その人が映画や小説のような悲劇的なストーリーで亡くなってしまう。
これは悲しくなります、泣きたくなって当然です。
僕はどちらかというと現実の人の死に対しては、あまり悲しくないタイプだったりします。
しかし、映画やお芝居などフィクションでの死に対しては泣いたりします。
今回、自分はどちらかというとフィクションに近いものを感じてしまいました。
なので、そういうことだったのだと思います。
今回の記事は、お亡くなりになられた小林麻央さんやそのご家族を貶したりする意図はまったくありません。
「映画のようだ」という表現も、それを小林さんご周囲の方が意図的にそうしたというのではなく、結果的にそうなった…ということです。
小林麻央さんの死に関連した現象について私の個人的に感想を述べたものになります。